都市の森と熱帯夜〜神宮外苑から、街へ

服の製作のために、都市の風景を撮ってまわった。
最初にバイクを停めたのは、樹木の伐採が噂される、神宮外苑エリアだ。

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とにかく、暑い夜だった。夕立が降って、やや涼しくなったのが嘘のように、ヘルメットを脱ぐと猛烈な湿気に覆われた。

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こんな時には、音楽を聴くのさえ、鬱陶しく感じる。街歩きに、音楽は欠かせない。
特に熱帯夜の蒸気の海を泳ぐような気分でいる時には、音楽で少しでも軽やかになりたいと思う。

自分の肌には最も馴染んでいるはずのロックも、この時ばかりは暑苦しさが目立ってしまう。
ジャズやボサノバに逃げるのも一つの手だろう。だが他に、自分が欲している音楽があるのを、身体のどこかで分かっていた。

サブスク時代には理解しづらいかもしれないが、或る時或る場所に、絶対にこの一枚、というアルバムがある。
そういう時には不思議と、右往左往せず直ぐにリストにたどり着く。

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「風街ろまん はっぴいえんど」

かつてこの時ほど、同じアルバムを聴いた事がない、というほど、リピートして聴いた。「いい感じ」とか、「力をもらう」とかの次元を超えて、音楽が自分に食い込んで、それと一体化した。

音楽は時として、太刀打ちできないほどの暑さの中で、確実に体温を奪ってくれる。
真夏のスイカや怪談みたいな話だが、詭弁を弄するつもりはない。

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神宮の森には、都市とは思えないほど濃い闇が隣接している。
松本隆氏はそれを歌詞にしている。狐狸が出てもおかしくない、もののけ感覚。

ボクも拙作で、ちょっとふれてるけど、

どこかの流行スポットみたいに、闇などあり得ない場所に、ここは変わろうとしているのか。
故郷と言っても、この街の他に見当たらない者にとって、それは実家の風景が他所に似た、均質でつるりとしたプチ都会になった感じに通じるかもしれない。
(生粋の都会人である松本氏がなぜ、「木綿のハンカチーフ」みたいな歌詞を書けたのかを思うと・・・)

空模様の縫い目を、辿って、石畳を駆け抜けると
夏は通り雨と一緒に、連れ立って行ってしまうのです

「夏なんです / はっぴいえんど」松本隆:詞 細野晴臣:曲
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時刻は終電の頃になっていた。闇の感覚を引きずって、ヘルメットを被り、六本木や渋谷や原宿を巡った。

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(写真を撮るのは)夜が濃くなってゆくお盆の頃でなければならなかった。
暑くて伽藍とした都会、失われるもの、既に失われたもの、はっぴいえんどの音楽も、もうあんな風には自分に響かない、と思う。
普通に(と言うと変だけど)、「かなりいい音楽」の内の一つになるのだ。

ボクが暮らしている国立エリアに近い立川などは、街が新しくなってから(概ね)良くなっている例だと思うけれど、無理に新しくしなくても老朽化した部分を補修するだけでそこそこ回っている、のではなく、新しくしなければもう経済が立ち行かない段階にまで、日本の、諸相が、入り込んでしまったのかもしれない。
でも街が新しくなって人が集まっているのは、昔からある店だったりする。
賭けみたいなもので、新しく出来た所は新しさに飽きたらもう終わり、二度とそこへは行かなくなる。

ともあれ、声高に何かを叫ぶのではなく、出来る事をしながら、空模様の縫い目を辿り何かを弔うように、時に身を置きたいと思う。

(この日撮った写真を元に、ジャケットをつくる予定です)

 

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