「MOTO」、バイクを指してそう呼んだりする。
ジャズのミュージシャンの合言葉、COOLとかDIGみたいに、それを使うとしたら。
「MOTOな気分」〜スピード感があり、昂揚する、構造に原型的な部分を残し、ゆえに荒削りなヴィークルを、乗りこなす感覚〜スポーツカーのドライビングにも通じるかもしれない。
では「MOTOな服」として思い浮かぶのはどんなものか、取り上げてみたい。
ベッテルのスタイル
4輪のF1レースで頂点を極めた男、セバスチャン・べッテルが、ヴィンテージのバイクに乗る時のスタイルが写真に残っている。
スカーフの巻き方が、なんとも粋だし、ライダース・ジャケットやハードなブーツを履いていても、どこか華奢な感じを残している。
上のリンク記事を読んで、目から鱗なのだけれど、世界で最も車を速く走らせたこの男は、かつてバイクに乗る事は、セクシーな行為だったと語っている。
バイクに乗るのはセクシーなこと
なるほど、彼のスタイリングが堂に入っているのは、MOTOのセクシーさを知っているから、異性との秘事を心得たドンファンのように、スピードと戯れる加減を知るが故の事かもしれない。
スピードの女神に誰よりも愛された男は、しかし膝がアスファルトに触れるまでカーブを攻めたりしない。身を大きな危険と隣合わせにする、そんなところに、「スピードの申し子(バンビーノ)=恐るべき子供」と呼ばれた4度のワールドチャンピオンが求めるセクシーさはない。
バイク乗りの服は、セクシー?
そう、コミュニケーションの密度が、営為がセクシーなものとなるかを決める。MOTOのセクシーさを知るものは、それに跨り、風と一つになる時の服をおろそかにしない。
と言うより、人々が羨望の眼差しで見るカップルのように、絵になってしまうのだと思う。
MOTOな服とは?
MOTOな服はもちろん、バイクに乗る時の服でもあるけれど、乗っていない時でも、傍らでバイクを眺めたり、あるいは別の場所に離れていても、ライディング時のMOTOな気分を感じられるような服だと思っている。
その意味では、機能一辺倒であるよりも、どこかに華美な部分を残しているスタイリングに、魅力を感じる。
上の写真の、ベッテルのスカーフのように、機能の中に飾りの要素が入っている。
もちろん、安全性は最大限担保した上で、ロングツーリングならば耐候性も加味するが、それだけではない。
極端な話、ライダーズ・ジャケットのインナーにフリルのブラウスを着る、なんてスタイルが、(かつてのRストーンズみたいに)魅力的に思えたりする。
フリルやボウタイで飾られた、風を感じるスタイル。新しい試みは、今後ここでも紹介してゆきたいと思っているけれど、現在注力しているのが、技術の進化が目覚ましい刺繍だ。
刺繍とバイク
スカジャンもそうだけど、刺繍とバイクがよく似合うのは、人物の動きによって微妙に光沢を浮かべたりして、装飾的だからだと思う。
やはり、機能性だけのシンプルな服だと、美しく煌めいているバイクに乗る時に、存在感が負けるし、ベッテルのように、絵にならない。
もちろん、彼のようにスピードと相思相愛になれば、オーラによって自然とスタイルは決まるのかもしれない。私のように一般の者は、少し強めにイニシャライズされたものを身に着けた方が気分もアガるし、相手からも視認される。
「バイクが好き」、そして「スピードと親密になりたい」事の意思表明として、細かく作り込まれた刺繍は、うってつけだと思う。
ハードでタフなスタイルの中に華奢で華美な部分が欲しいと書いたのは、スピードの神は、きっと女性だと思うからだ。ベッテルが、自分のF1マシンをどんな愛称で呼んでいたか、思い出してみてもいい。
女神とのダンス、最難関のモナコのレースに繰り返し勝った数少ない者、そして今のモナコ出身のフェラーリドライバーを見てみれば、察せられる。闇雲にスリルに身を投じるマッチョは、女神に背を向けられてしまう。
MOTOな日常
スピード狂ではなく、時間を味方に付ける事、その感覚を磨く事は、それぞれが自分のレースで成果を上げる事に繋がり、MOTOはただの趣味ではなく仕事や生活に向き合う際のモチベーションを与えてくれるだろう。
バイクに乗っていない時、離れている時も、MOTOな気分でいられる服であってくれれば、と思う。